2007年07月29日 (日) | 編集 |
すっかりご無沙汰しております。
その後、それなりのペースで本は読んでおりますが・・・
ごく最近読んだ本から。
◆恩田陸『夜のピクニック』
本屋大賞を受賞した作品。
気になっていたのだけれど、やっと手を出した。
もっと早く読んでおけばよかったよ!
なんだろう、この「ふつう」な感じは。
丸一日かけて、80kmを歩き通す、という学校行事。
たったそれだけのネタなんだけど、
高校最後の行事にかける、キャラたちの思いが実にリアルに伝わってくる。
ああ、そうだ、若いってこういうことだ。
クサイかもしれないが、青春ってこういうことだ。
ただ歩くだけ、それがどうしてこんなに特別なのか。
いや、ただ歩くだけだから、特別なんだろう。
歩くだけ、淡々と。淡々とした時間だからこそ、悶々と考える。
独白が多い構成に、共感が強まっていく。
そうだ、あの頃、きっとわたしもこんな風だった。
「考える」ことを手放したのは、中学3年のときだったが、
そのなんて愚かしかったことか。
(このことは、常日頃から思ってはいるのだけれど。
早く取り戻さねば、と思うのだけれど、でも、どんなに頑張っても、
もう二度とあの頃のように考えることはできないのだとわかってもいるわけで)
高校時代。
とても不確かで不安定な自分。
それでいて、内側からはじけてくるようなエネルギー。
友を思い、友と過ごし、友とぶつかって、そうして得たかけがえのないもの。
あの頃の友人が、いまもわたしの周りにいてくれることを感謝する。
そして、いまも顔を合わせれば、あの頃ほどではないけれど、
お互いのために「無償で」盛り上がれる、大切な存在。
その存在を得るために、入学当初、どれほどの緊張をしたことか。
新しい環境に飛び込んでいく、それが当時の自分のとって、
どれほど勇気と努力が必要で、大事件だったことか。
そういうことが、ありありと、思い出された。
…と、まあ、ついつられて独白モードになってしまう。
わたしのなかで失われつつある「考える」時間、
つまり、自分の内側に目を向ける時間を、少し取り戻してくれた。
わたしにとって、またひとつ、大切な作品が増えることになったようだ。
その後、それなりのペースで本は読んでおりますが・・・
ごく最近読んだ本から。
◆恩田陸『夜のピクニック』
本屋大賞を受賞した作品。
気になっていたのだけれど、やっと手を出した。
もっと早く読んでおけばよかったよ!
なんだろう、この「ふつう」な感じは。
丸一日かけて、80kmを歩き通す、という学校行事。
たったそれだけのネタなんだけど、
高校最後の行事にかける、キャラたちの思いが実にリアルに伝わってくる。
ああ、そうだ、若いってこういうことだ。
クサイかもしれないが、青春ってこういうことだ。
ただ歩くだけ、それがどうしてこんなに特別なのか。
いや、ただ歩くだけだから、特別なんだろう。
歩くだけ、淡々と。淡々とした時間だからこそ、悶々と考える。
独白が多い構成に、共感が強まっていく。
そうだ、あの頃、きっとわたしもこんな風だった。
「考える」ことを手放したのは、中学3年のときだったが、
そのなんて愚かしかったことか。
(このことは、常日頃から思ってはいるのだけれど。
早く取り戻さねば、と思うのだけれど、でも、どんなに頑張っても、
もう二度とあの頃のように考えることはできないのだとわかってもいるわけで)
高校時代。
とても不確かで不安定な自分。
それでいて、内側からはじけてくるようなエネルギー。
友を思い、友と過ごし、友とぶつかって、そうして得たかけがえのないもの。
あの頃の友人が、いまもわたしの周りにいてくれることを感謝する。
そして、いまも顔を合わせれば、あの頃ほどではないけれど、
お互いのために「無償で」盛り上がれる、大切な存在。
その存在を得るために、入学当初、どれほどの緊張をしたことか。
新しい環境に飛び込んでいく、それが当時の自分のとって、
どれほど勇気と努力が必要で、大事件だったことか。
そういうことが、ありありと、思い出された。
…と、まあ、ついつられて独白モードになってしまう。
わたしのなかで失われつつある「考える」時間、
つまり、自分の内側に目を向ける時間を、少し取り戻してくれた。
わたしにとって、またひとつ、大切な作品が増えることになったようだ。
2007年02月09日 (金) | 編集 |
上橋菜穂子『月の森に、カミよ眠れ』読了。
異類婚姻譚、しかも蛇神との、ときたら、これは読まずにおれないでしょう(個人的なツボですから)。
三輪山型伝承、苧環、ああ、懐かしい。
モデルは大和朝廷に取り込まれつつある、小さな地方集落。
カミや精霊との絆を断って、水田を拓き効率よく作物を得ようとする。
ヒトの理に従って、ヒトの力だけで生きていこうとする。
古い絆を守ろうとする者と、新しい理屈を持ち込む者。
どちらが正しいともいえない、葛藤。
「歴史上の出来事」としては、「この地方でも稲作が始まりました」なんて一言で片付いてしまうかもしれない。
けれど、それを直に体験する人にとっては、そんな単純な変化ではないわけで。
そこのところを、丹念に想像し、物語として構築し、描写していくところは、さすが上橋さんだ。
もちろん、この作品はフィクションだし、ファンタジーの手法をとっているから、「事実あったこと」でもない。
が、そこには変化に翻弄される人びとの息づかいが聞こえてくるようなリアルさがある。
そして、「あなただったらどうする?」と、読者に問いかけてくる、強い力がある。
カミが我々に何をしてくれる?
という問いかけは、衝撃的。
カミとの絆を守っていくなら、収穫不足に悩まされる。
ギリギリの生活に耐えて、カミは褒めてくれるのか?
カミからの見返りなどあっただろうか?
森を拓き、田を耕し、稲を育てれば、食は安定する。
なぜそれをカミは邪魔するのか?
カミとの絆に固執する必要も、意味もあるのか?
他の村では、もう稲を育てている。
それでも、村は滅んだりしていない。
カミは、本当にそれほど恐れるものなのか?
そう言われると、反論できない。
でも、何か違う、とも思う。
その違和感はきっと、ヒトもカミも自然の一部なのに、というところからくるのだろう。
ヒトも自然の一部なのに、なぜか自然を自分とは異なるものとして見ようとする。
距離を置こうとする。
自然を利用し、支配しようとするなら、きっと無理が生じる。
最初の小さな変化が、ずるずると大きな変化につながっていく。
やがて、取り返しのつかないことになってしまうかもしれない。
老婆となったキシメは、それを示唆する。
幼子に「恐怖感」とともに、自然やカミへの「畏敬の念」を教えることで、
細く細くなった絆を、それでもなんとか繋いでいくために。
今、日本に住んでいる人なら、きっと皆が感じている、「崩壊の危機」。
安定を取り返せるかどうかは、これからにかかっている。
わたしたちの直面しているのは「今」だけれど、
わたしたちの行動は「ずっと後世」にまで影響を与える。
なにげない歴史や社会の変化を、表面上の「AがBに変わった」というだけでなく、
「その時、そこで、その出来事に直面している人が、どんなふうに悩み、考え、行動したか」を捉えることで、「今」に置き換えられること。
歴史を振り返るということは、そういう「学び」なのかもしれない、ということ。
そんな気づきを与えてくれる一冊だった。
異類婚姻譚、しかも蛇神との、ときたら、これは読まずにおれないでしょう(個人的なツボですから)。
三輪山型伝承、苧環、ああ、懐かしい。
モデルは大和朝廷に取り込まれつつある、小さな地方集落。
カミや精霊との絆を断って、水田を拓き効率よく作物を得ようとする。
ヒトの理に従って、ヒトの力だけで生きていこうとする。
古い絆を守ろうとする者と、新しい理屈を持ち込む者。
どちらが正しいともいえない、葛藤。
「歴史上の出来事」としては、「この地方でも稲作が始まりました」なんて一言で片付いてしまうかもしれない。
けれど、それを直に体験する人にとっては、そんな単純な変化ではないわけで。
そこのところを、丹念に想像し、物語として構築し、描写していくところは、さすが上橋さんだ。
もちろん、この作品はフィクションだし、ファンタジーの手法をとっているから、「事実あったこと」でもない。
が、そこには変化に翻弄される人びとの息づかいが聞こえてくるようなリアルさがある。
そして、「あなただったらどうする?」と、読者に問いかけてくる、強い力がある。
カミが我々に何をしてくれる?
という問いかけは、衝撃的。
カミとの絆を守っていくなら、収穫不足に悩まされる。
ギリギリの生活に耐えて、カミは褒めてくれるのか?
カミからの見返りなどあっただろうか?
森を拓き、田を耕し、稲を育てれば、食は安定する。
なぜそれをカミは邪魔するのか?
カミとの絆に固執する必要も、意味もあるのか?
他の村では、もう稲を育てている。
それでも、村は滅んだりしていない。
カミは、本当にそれほど恐れるものなのか?
そう言われると、反論できない。
でも、何か違う、とも思う。
その違和感はきっと、ヒトもカミも自然の一部なのに、というところからくるのだろう。
ヒトも自然の一部なのに、なぜか自然を自分とは異なるものとして見ようとする。
距離を置こうとする。
自然を利用し、支配しようとするなら、きっと無理が生じる。
最初の小さな変化が、ずるずると大きな変化につながっていく。
やがて、取り返しのつかないことになってしまうかもしれない。
老婆となったキシメは、それを示唆する。
幼子に「恐怖感」とともに、自然やカミへの「畏敬の念」を教えることで、
細く細くなった絆を、それでもなんとか繋いでいくために。
今、日本に住んでいる人なら、きっと皆が感じている、「崩壊の危機」。
安定を取り返せるかどうかは、これからにかかっている。
わたしたちの直面しているのは「今」だけれど、
わたしたちの行動は「ずっと後世」にまで影響を与える。
なにげない歴史や社会の変化を、表面上の「AがBに変わった」というだけでなく、
「その時、そこで、その出来事に直面している人が、どんなふうに悩み、考え、行動したか」を捉えることで、「今」に置き換えられること。
歴史を振り返るということは、そういう「学び」なのかもしれない、ということ。
そんな気づきを与えてくれる一冊だった。
2007年01月18日 (木) | 編集 |
上橋菜穂子『蒼路の旅人』読了。
「旅人」とつくのは「守り人」シリーズの外伝だと思ってたけれど、並行する別シリーズと考えた方がいいようだ。
新ヨゴ皇国に迫る、戦争の影。
今までは、まだ「気配」だった。
多くの国々を呑み込んできた、南のタルシュ帝国。
でも、そうはいっても海の向こうの国だし、という薄い危機感。
ところが、とうとうチャグムの目の前で、牙をむこうとしている。
チャグムは皇太子だから、常に国のことを考えねばならない。
シュガやトーサのように後押ししてくれるもの、皇太子に国の未来を夢見る民草、すべてを背負って、ことにあたらねばならない。
理想や正義感を振りかざしても詮無いこと。
「私」を殺し、理性的であろうとし、策略を巡らし、戦略のために切り捨てることもいとわず、賢すぎず愚かすぎない駆け引きをする。
国の命運を一身に背負い、常に難しい選択をしなければいけない、チャグムの苦しみが、重たい。
それだけの世界を書き上げる、上橋さんの視野の広さに感服。
「守り人」「旅人」合わせて過去6冊で描かれてきた背景ももちろん含め、国と国の力関係、地形や気候やナユグの影響、政治的な人と人のしがらみ、文化・習慣・歴史・宗教の違い……あらゆることを熟考して築き上げられていく展開が素晴らしい。
もはや八方ふさがりと思われるチャグムに、ぎりぎりの活路を見いださせる仕掛けも。
わたしがチャグムだったら、まず間違いなく船に乗る前から失敗していたことだろう。
チャグムはまだ15歳の若者だ。
自由になりたいと切望する心と、父王に嫌われているという絶望感と、国のために我が身を供せねばという使命感とのせめぎ合いが、切ない。
まして、敵には圧倒的な力の差を見せつけられ、国の命運は自分次第という追いつめられた状況で。
しかし、追いつめられて、チャグムはますます聡明かつ勇敢ぶりを発揮する。
帝になどなりたくないと言い続けてきたチャグムだが、とうとう「上に立つ者」としての覚悟を決める。
敵の罠にはまり、相手の描いたシナリオに促されて、というのは皮肉だが(このあたりはかなりハラハラさせられた)、けして言いなりになるのではなく、「たったひとりででも、立ちふさがってみせる」という決意が、チャグムらしい。
希望は限りなくゼロに近い。
けれど、自分と、自分を信じてくれる人々を信じることで、チャグムは前に進む。
ああ、もう! 完結して欲しいようなして欲しくないような。
続きがとにかく気になってしかたがない。
「旅人」とつくのは「守り人」シリーズの外伝だと思ってたけれど、並行する別シリーズと考えた方がいいようだ。
新ヨゴ皇国に迫る、戦争の影。
今までは、まだ「気配」だった。
多くの国々を呑み込んできた、南のタルシュ帝国。
でも、そうはいっても海の向こうの国だし、という薄い危機感。
ところが、とうとうチャグムの目の前で、牙をむこうとしている。
チャグムは皇太子だから、常に国のことを考えねばならない。
シュガやトーサのように後押ししてくれるもの、皇太子に国の未来を夢見る民草、すべてを背負って、ことにあたらねばならない。
理想や正義感を振りかざしても詮無いこと。
「私」を殺し、理性的であろうとし、策略を巡らし、戦略のために切り捨てることもいとわず、賢すぎず愚かすぎない駆け引きをする。
国の命運を一身に背負い、常に難しい選択をしなければいけない、チャグムの苦しみが、重たい。
それだけの世界を書き上げる、上橋さんの視野の広さに感服。
「守り人」「旅人」合わせて過去6冊で描かれてきた背景ももちろん含め、国と国の力関係、地形や気候やナユグの影響、政治的な人と人のしがらみ、文化・習慣・歴史・宗教の違い……あらゆることを熟考して築き上げられていく展開が素晴らしい。
もはや八方ふさがりと思われるチャグムに、ぎりぎりの活路を見いださせる仕掛けも。
わたしがチャグムだったら、まず間違いなく船に乗る前から失敗していたことだろう。
チャグムはまだ15歳の若者だ。
自由になりたいと切望する心と、父王に嫌われているという絶望感と、国のために我が身を供せねばという使命感とのせめぎ合いが、切ない。
まして、敵には圧倒的な力の差を見せつけられ、国の命運は自分次第という追いつめられた状況で。
しかし、追いつめられて、チャグムはますます聡明かつ勇敢ぶりを発揮する。
帝になどなりたくないと言い続けてきたチャグムだが、とうとう「上に立つ者」としての覚悟を決める。
敵の罠にはまり、相手の描いたシナリオに促されて、というのは皮肉だが(このあたりはかなりハラハラさせられた)、けして言いなりになるのではなく、「たったひとりででも、立ちふさがってみせる」という決意が、チャグムらしい。
希望は限りなくゼロに近い。
けれど、自分と、自分を信じてくれる人々を信じることで、チャグムは前に進む。
ああ、もう! 完結して欲しいようなして欲しくないような。
続きがとにかく気になってしかたがない。
2007年01月18日 (木) | 編集 |
ダイアナ・ウィン・ジョーンズ『アブダラと空飛ぶ絨毯』読了。
『魔法使いハウルと火の悪魔』の続編(「空中の城」シリーズ2作目)。
ブリティッシュなファンタジー世界はどこへやら、今回はアラビアンなファンタジー世界から始まる。
魔法の絨毯に、ジンニー(精霊)入りの瓶、王女をさらうジン(魔神)、砂漠の盗賊と、王道アイテム&キャラがぞろぞろ。
人々は、会話に美辞麗句をたっぷり盛り込むならわしがあり、もどかしいやら可笑しいやら。
「砂漠の王よ」「旅人の真珠たるお方」「知恵の大御所殿」「鋭敏なる嗅覚をお持ちの王子殿」「ラクダの群れの大将殿」「砂漠の詩人殿」「世迷い言の王者殿」……これ、すべてワンシーンの会話で、アブダラがある1人の絨毯売りに呼びかけた言葉(皮肉含む)。
二人称=「あなた」、なんて陳腐なことは言わない。
そういえば、むかし読んだ『千一夜物語』でも同じような美辞麗句だらけの会話だったっけ。
バザールの様子や、食べ物のメニュー、庭園のあり方もそうだが、最もアラビアンムードをつくり出しているのは、この会話。
うまいなあ。
愛しの王女を追って、アブダラはとうとうインガリー国(ハウルやソフィーの国)までたどり着く。
何をやってもイマイチうまくいかないアブダラだが、意外と順応力は高く、習慣の違いにわりと早く馴染んでいく。
つまり、会話はシンプルに!と。
(それでも、インガリー国の人々からすればまどろこっしいのだけれど)
このへんは、空想を膨らませることが得意なアブダラならではの柔軟さか。
押しが弱くて、人が良くて、空想がに逃げ込むのが好きなアブダラ。
けしてヒーローらしからぬ彼が、一途さゆえに危険に飛び込んでいくさまは、胸がすく。
ヒロイン役の王女も、けっしてヒロインの型にはまっていないところが愛らしい。
そういえば、ハウルも臆病男で、ソフィーは勝ち気な女性だった。
ダイアナ・ジョーンズさんは、弱い女が強い男に守られるという伝統的価値観をひっくり返すのがお好み、なのかな?
ところで、ハウルとソフィーはいつになったら出てくるの? とやきもきさせられる。
人々の話題には上っているのに、ちっとも姿を現さない。
が、最後の最後に種を明かされてみれば、ハウルもソフィーもカルシファーも、そしてジャスティン王子まで、ちゃーんと早くから活躍してました、というオチが秀逸。
それを知ってから、もう一度読めば、また別の楽しみも味わえることだろう。
『魔法使いハウルと火の悪魔』の続編(「空中の城」シリーズ2作目)。
ブリティッシュなファンタジー世界はどこへやら、今回はアラビアンなファンタジー世界から始まる。
魔法の絨毯に、ジンニー(精霊)入りの瓶、王女をさらうジン(魔神)、砂漠の盗賊と、王道アイテム&キャラがぞろぞろ。
人々は、会話に美辞麗句をたっぷり盛り込むならわしがあり、もどかしいやら可笑しいやら。
「砂漠の王よ」「旅人の真珠たるお方」「知恵の大御所殿」「鋭敏なる嗅覚をお持ちの王子殿」「ラクダの群れの大将殿」「砂漠の詩人殿」「世迷い言の王者殿」……これ、すべてワンシーンの会話で、アブダラがある1人の絨毯売りに呼びかけた言葉(皮肉含む)。
二人称=「あなた」、なんて陳腐なことは言わない。
そういえば、むかし読んだ『千一夜物語』でも同じような美辞麗句だらけの会話だったっけ。
バザールの様子や、食べ物のメニュー、庭園のあり方もそうだが、最もアラビアンムードをつくり出しているのは、この会話。
うまいなあ。
愛しの王女を追って、アブダラはとうとうインガリー国(ハウルやソフィーの国)までたどり着く。
何をやってもイマイチうまくいかないアブダラだが、意外と順応力は高く、習慣の違いにわりと早く馴染んでいく。
つまり、会話はシンプルに!と。
(それでも、インガリー国の人々からすればまどろこっしいのだけれど)
このへんは、空想を膨らませることが得意なアブダラならではの柔軟さか。
押しが弱くて、人が良くて、空想がに逃げ込むのが好きなアブダラ。
けしてヒーローらしからぬ彼が、一途さゆえに危険に飛び込んでいくさまは、胸がすく。
ヒロイン役の王女も、けっしてヒロインの型にはまっていないところが愛らしい。
そういえば、ハウルも臆病男で、ソフィーは勝ち気な女性だった。
ダイアナ・ジョーンズさんは、弱い女が強い男に守られるという伝統的価値観をひっくり返すのがお好み、なのかな?
ところで、ハウルとソフィーはいつになったら出てくるの? とやきもきさせられる。
人々の話題には上っているのに、ちっとも姿を現さない。
が、最後の最後に種を明かされてみれば、ハウルもソフィーもカルシファーも、そしてジャスティン王子まで、ちゃーんと早くから活躍してました、というオチが秀逸。
それを知ってから、もう一度読めば、また別の楽しみも味わえることだろう。
2007年01月17日 (水) | 編集 |
ダイアナ・ウィン・ジョーンズ『魔法使いハウルと火の悪魔』読了。
言わずとしれた、ジブリ映画『ハウルの動く城」の原作(この映画はすでに観ました)。
読み始めてまず思ったことは、「ああ、イギリスのファンタジーっぽい」ということ。
なんだそりゃ、と思われるかもしれないが、冒頭の「三人きょうだいのいちばん上に生まれるとは、なんてついていないんでしょう!」というくだりに、思わずニヤリとしてしまった。
『ゲド戦記』に苦労した反動か、なんだか馴染みのある感触にほっとする。
愚かなことに、わたしはダイアナ・ジョーンズさんがどこの人かなんて気にもせずに読み始めたので、奥付で確認して、ああやっぱり、と思った次第。
むろん、ある種の思いこみかもしれない。
単に『ゲド戦記』よりも明るくて、楽しい冒険物語だからなのかもしれない。
が、ともかく出だしから親しみを持って読み始められたことは、幸運だったと言ってよいだろう。
「どうせ長女だから成功しやしない」とすねて、内にこもり、愚痴をこぼすばかりの、地味で消極的な女の子ソフィー。
ところが、荒れ地の魔女の呪いで90歳になると、嘆いていても始まらない、「どうせ年寄りのすることなのだから」と、ずかずか踏み込むわ、ずけずけ言うわの、超積極的おばあちゃんに大変身。
たとえ見かけは関節がガタピシいうような老婆であっても、とても生き生きしている。
ずっと強気で好奇心旺盛で前向きになり、ソフィーは輝く。
ぶつくさ文句をこぼすのは変わらない(これがまた面白い)のだが、18歳の姿の時だって、本音はきっと自分でも分かっていたのだ。
ただ、それを表に出せなかっただけ。
老婆という〈偽りの姿〉になったおかげで、内心と直結した〈本当の行動〉を取り戻すことができたわけだ。
ソフィーは「長女だから自分には魔力なんてない」と思いこんでいたけれど、実は彼女には「話しかけること」で魔法をかける力があった。
老婆になったきっかけは荒れ地の魔女の呪いだったかもしれないが、実は「自分は老婆にされてしまった」という自己暗示によって、決定づけられていたという皮肉。
この部分が、かなり面白い!
「ソフィーが老婆になったお陰で本当の自分に気付く」お話かと思ったら、さらに「自分は老婆であるという自己暗示を解くことで不必要な自己抑制を取っ払う」話だったのだ。
積極的になったソフィーのお陰で巻き起こるあれこれに、振り回されるハウルが可笑しい。
ハウルは自分でも言っているように、本当は怖がりの臆病者なのに、さも大胆で無責任な放蕩者ぶっている。
ここにも、本当の自分をごまかしている者がいる。
ソフィーは、老婆になることで本当の自分に気付いたし、ハウルはそのソフィーにお尻を叩かれて、本当の自分を知られることを許した。
そして最後には、ハウルによってソフィーの自己暗示は解消される。
だからこそ、ふたりは惹かれあったのだろう。
意外性のある展開に、やきもきする恋愛模様。
退屈する暇もなく楽しませてくれる作品だ。
言わずとしれた、ジブリ映画『ハウルの動く城」の原作(この映画はすでに観ました)。
読み始めてまず思ったことは、「ああ、イギリスのファンタジーっぽい」ということ。
なんだそりゃ、と思われるかもしれないが、冒頭の「三人きょうだいのいちばん上に生まれるとは、なんてついていないんでしょう!」というくだりに、思わずニヤリとしてしまった。
『ゲド戦記』に苦労した反動か、なんだか馴染みのある感触にほっとする。
愚かなことに、わたしはダイアナ・ジョーンズさんがどこの人かなんて気にもせずに読み始めたので、奥付で確認して、ああやっぱり、と思った次第。
むろん、ある種の思いこみかもしれない。
単に『ゲド戦記』よりも明るくて、楽しい冒険物語だからなのかもしれない。
が、ともかく出だしから親しみを持って読み始められたことは、幸運だったと言ってよいだろう。
「どうせ長女だから成功しやしない」とすねて、内にこもり、愚痴をこぼすばかりの、地味で消極的な女の子ソフィー。
ところが、荒れ地の魔女の呪いで90歳になると、嘆いていても始まらない、「どうせ年寄りのすることなのだから」と、ずかずか踏み込むわ、ずけずけ言うわの、超積極的おばあちゃんに大変身。
たとえ見かけは関節がガタピシいうような老婆であっても、とても生き生きしている。
ずっと強気で好奇心旺盛で前向きになり、ソフィーは輝く。
ぶつくさ文句をこぼすのは変わらない(これがまた面白い)のだが、18歳の姿の時だって、本音はきっと自分でも分かっていたのだ。
ただ、それを表に出せなかっただけ。
老婆という〈偽りの姿〉になったおかげで、内心と直結した〈本当の行動〉を取り戻すことができたわけだ。
ソフィーは「長女だから自分には魔力なんてない」と思いこんでいたけれど、実は彼女には「話しかけること」で魔法をかける力があった。
老婆になったきっかけは荒れ地の魔女の呪いだったかもしれないが、実は「自分は老婆にされてしまった」という自己暗示によって、決定づけられていたという皮肉。
この部分が、かなり面白い!
「ソフィーが老婆になったお陰で本当の自分に気付く」お話かと思ったら、さらに「自分は老婆であるという自己暗示を解くことで不必要な自己抑制を取っ払う」話だったのだ。
積極的になったソフィーのお陰で巻き起こるあれこれに、振り回されるハウルが可笑しい。
ハウルは自分でも言っているように、本当は怖がりの臆病者なのに、さも大胆で無責任な放蕩者ぶっている。
ここにも、本当の自分をごまかしている者がいる。
ソフィーは、老婆になることで本当の自分に気付いたし、ハウルはそのソフィーにお尻を叩かれて、本当の自分を知られることを許した。
そして最後には、ハウルによってソフィーの自己暗示は解消される。
だからこそ、ふたりは惹かれあったのだろう。
意外性のある展開に、やきもきする恋愛模様。
退屈する暇もなく楽しませてくれる作品だ。



