本読みの感想(ネタバレあり)を中心に、日々のことごとを。
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『夕凪の街』に野暮なことを言いなさんなよ(泣)
2005年10月14日 (金) | 編集 |
こうの史代『夕凪の街 桜の国』が、韓国で発行されるにあたって、
「原爆投下は、戦争終結のためにやむを得ない判断だった」という旨の、断り書きを追加することになったらしいです。

それは、何か違うのではないでしょうか。

韓国でこの作品を発売しようというのは、とてもすごい挑戦だと思う。
それを実現すべく、働きかける人たちは、素晴らしいと思う。
確かに、「被害者である日本」を描いたこの作品は、韓国では、なかなか受け入れにくいことでしょう。
だから、「原爆はやむを得なかった」という文を追加することで、それを和らげようというねらいもわかります。

でも、この作品は、「被害者としての日本」だけ、を描いているだろうか?
この作品の登場人物は、戦争をしたかったわけでもないし、
実際に戦った兵士でもないし、戦争をさせた「国のエライ人」でもない。
「個」というものを無視されて、戦争に無理矢理巻き込まれて、はては虚しく犠牲になった、ただの人。
被爆した女性(と家族)を通して、原爆の恐ろしさ、戦争のむなしさ、が描かれているのではないでしょうか。
戦争が悲しいことなのは、韓国でも日本でも、世界中どこでも同じです。

原爆投下が「やむを得なかった」かどうかなんて、
「戦争はなぜ起きたか」というのと同じような、妙に高みに登った視点は、ここでは不要なんです。
それは、あたかも、イラク戦争前に、
「米兵の犠牲者は、湾岸戦争より少なくて済むでしょう」と言った、
某大統領のような、人間を数でしか捉えないような視点なのですよ。
それはつまり、いくらかの犠牲者は「計算済み」ということでしょう。
そして、その犠牲者が誰か、という「個人」には、まったく無関心で。

でも、この作品で描かれているのは、「個」であり、「生身」の人間なのだから。

この作品を読んで、彼女たちのことを受けとめるのに、
「原爆投下はやむを得ない」なんて、言い訳がましい断りが、本当に必要なのでしょうか?

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