本読みの感想(ネタバレあり)を中心に、日々のことごとを。
自由は与えられるものではなく、選ぶもの(ゲド戦記2)
2007年01月09日 (火) | 編集 |
アーシュラ・クローバー・ル=グウィン『ゲド戦記2 こわれた腕環』読了。

やっぱり観念的で地味だった。
大きなテーマはわかりやすい、と感じるのだけれど、
一文一文を読み解くのは、難解。

『影との戦い』で「答えを導く過程が描かれていない」と感じていたのは、
会話がなんだかかみ合っていないような感じで、まっすぐに進んでいかないところや、
キャラの感情がコロコロ変わるところにも要因があるのかもしれない。
おそらくは、言葉を表の意味だけで捉えてはいけないのだと思う。
その言葉が示唆するものを正確に捉え、
返す言葉も、また何かを暗に含んでいるものを選ぶ。
そういう表現なのかと。
過程を描いていないわけではない。
感じ取れていなかっただけなのかも。
だから、置いてけぼりになりそうになる。
いや、きっとこれは、わたしが分からず屋だからなのだろう。
ああ、嫌になる。この、あまりにも貧しい我が感性が……
『影〜』で「魔法使いの直感」と解釈したけれど、
「直感」というのは、あながち間違いとは言えないのかもしれない。
言葉の文字面ではなく、「真」を感じ取れ、と。
「真のことば」「真の名前」は本作の重要なキーワードでもある。

地下に住まう「名なき者」に魂を「喰らわれし者」(アルハ)として存在している少女。
アルハは、地下を唯一の自分の居場所と認め、闇の世界に染まっていく。
手探りで、地下の曲がりくねった道を行く。
少しずつ、少しずつ、息をつめて、神経を磨り減らして。
その描写が丹念で、読んでいても鬱々となっていく。
アルハにとっては唯一の楽しみ、唯一の冒険だけれど、読者にとっては、ある種の退屈。
また、一方、アルハが「滅び」へ向かう道を、ひたすらに突き進んでいくようで、嫌な気分になる。
ゲドを発見することで、彼女に契機が訪れる。
そう、ゲドは脇役に過ぎない。
ゲドは、支える人。
決めるのは、あくまでもアルハ。
少女は、ゲドの助けを借りて、闇に呑み込まれず、自分を取り戻す。
テナーという「真の名前」を手に入れる。
名前が自己の象徴。

前作は、自己の闇を見つめ、受け入れる話だった。
今作はもっと初歩に戻って、自分自身が何者なのかを認める話だった。
ゲドの言うように、アルハとテナーは同時には存在できない。
アルハが死ななければ、テナーにはなれない。
だから少女は、自分の真の名前を知っても、
はいそうですか、と簡単にはテナーにはなれない。
最後まで、ゲドと一緒に行くか、行かないかと激しく揺れる様が、
ただ単に見知らぬ土地へ降り立つ不安だけではないことは、明らかだろう。