本読みの感想(ネタバレあり)を中心に、日々のことごとを。
恨みの連鎖を断ち切る力(狐笛のかなた)
2006年12月13日 (水) | 編集 |
上橋菜穂子『狐笛のかなた』読了。
やはり和物ファンタジーは好きだ。しっくりくる。
(念のため、「和製」ではなく「和物」。日本が舞台、ということ)
わたしはここに描かれているような野山や里で育ったわけではないが、
なんだかんだで「日本の」自然や文化、習俗に馴染みがあるからか。
そういえば、荻原規子の勾玉シリーズや『風神秘抄』、ジブリの「もののけ姫」、ゲーム「大神」などなど、
昔の日本をモチーフにしたファンタジーは増えたし、人気も高い。

ヒトの世にいることで、神秘性を失っていくカミの姿はよく描かれる。
(例えば「もののけ姫」では、乙事主が、ただの獣となっていくイノシシのことを嘆いていた)
ところが『狐笛〜』では、カミとヒトの世だけでなく、その狭間の〈あわい〉がある。
このどっちつかずの場所で、どっちつかずの存在として生まれたのが、霊弧。
本来カミとヒトの世の両方を行き来できたはずの霊弧が、
カミの世には渡れなくなり、〈あわい〉に置き去りにされてしまった。
しかも、あろうことか人間の呪術によって、使役される憂き目にまで会う。
神話が失われつつある過程の、ひとつの解釈として見ても興味深い。

出産が慶事でありながら、穢れでもある理由が出てくる。
産婆は、両手を血(穢れ)に染め、「あの世」から赤子を引っ張り出す(場合によっては「あの世」へお返しもする)。
だから感謝もされるが、恐れられてもいる。
主人公の小夜を育てた祖母は産婆であり、
あの世とこの世の間に立っている、いわば〈あわい〉の存在だ。
お産の技術を受け継いだ小夜も、〈あわい〉の存在といえるだろう。
もっとも、彼女の場合、それだけではないのだが。


テーマのひとつは、恨みの連鎖をどう断ち切るか。
偶然だが、先に読んだばかりの『神の守り人』と通じる。
本作では、そもそも恨みの起こり自体は「なんだかなあ」と呆れるもの。
はっきりいって、子供のケンカレベル。
ただ、生まれの順番だけで不遇な立場を負わされるなど、
実際にあっただろうし、今でもありそうな話だ。
発端はそんなささいなことだが、これが次の代へ引き継がれると、
恨みは固く結びついた「伝統」となり、容易には解けなくなっていく。
当事者だけでなく、その子、孫、補佐した者、その子、またその子……と、
じわじわと、しかし確実に恨みは浸透し、
もはや最初の原因を除けばそれで解決、とはいかなくなる。
いや、何が原因なのかすら、わからなくなっているのかもしれない。
現実にも起きているさまざまな争いのことを思うと、
その和解の困難さに絶望してしまいそうになる。

そんな泥沼の、過酷な運命に翻弄される小夜たち。
とはいっても、そんな本人のあずかり知らないところで発生した「恨み」なんか、
ぽいっと捨ててしまいたい、というのが本音か。
その正直で、まっすぐな気持ちが小気味よい。
恨みとか呪いとか滅びとか、おどろおどろしい言葉が多いわりに、
読後がなにやらすがすがしいのはそのためか。
何を守りたいのか、をまっすぐ見据えてめげない若者たちに、
大人の心も少し疲れを癒されたようで。
物語は、喧嘩両成敗というか、恨みの元をただすことで、
なんとか互いに歩み寄ることに成功したようだ。
恨む心に耐え、相手を認めること。
けっきょくそれしかないのだろう。

神か悪魔か(神の守り人)
2006年12月13日 (水) | 編集 |
上橋菜穂子『神の守り人』来訪編/帰還編 読了。
シリーズ初の2巻もの。
そのボリュームに比例してか、移動距離が長い。
そしていつも以上にバルサが傷を負う。
というか、ほとんど無傷の期間がない。
派手なアクションの連発で、いかにもシリーズの主人公!というところだが、
実はかなり脇役っぽいポジションだったのが面白かった。
かといって真の主役アスラも全然ヒロインらしからず、
ほとんど受身(移動に関しては荷物扱い)だったのも。
本人の意思はまったく関係なく、
一方からは救世主としてあがめられ、一方からは悪魔として暗殺されそうになる、
運命に巻き込まれていくさまが、そこに表れている。

今まで、主要人物に関してはハッピーエンドな終わり方がパターンだったが、
初めて「ハッピー」とは言いがたい結末を迎えた者が出た。
(もっとも、まだ“過程”であって“結末”はこれから、かもしれないが)
テーマも重い。
人はけっして平等ではないということ。
その不平等のもとにある信仰、富と貧困、差別、利害……
人は等しく尊いのだといいながら、
生まれや住む場所によって、貧富の差や身分の差ができ、
それに縛られていくという矛盾。
ゆえに人々の心の底に沈殿していく、恨みと怒りと悲しみと、そして殺意。
何百年も前の「伝説」は、解釈によって「正義」も違う。
もはや絶望的に回復しようもないと思われる状況に、
それでもなんとか活路を見出したいともがく人々。
実際、物語中でもなにも解決はできていないが、
せめて己の心だけは尊くあろうとする勇気が一筋の希望の光、といったところ。
その勇気を持つことは、ひどく苦しく、孤独な戦いのようで、
実は多くの人に支えられてかなえられるのだ、ということ。
それを示したのが幼いアスラとチキサなだけに、最後が切ない。