本読みの感想(ネタバレあり)を中心に、日々のことごとを。
ミスへの疑念と人間の能力への信頼、矛盾を克服するための努力を、知っているはずだ
2006年04月25日 (火) | 編集 |
JR西日本の事故から、今日で丸1年。
皮肉なことに、最近電車のトラブルが多い。

思うに、運転室には常に2人以上乗せるべきなのではなかろうか。
ベテランであろうが、新人であろうが関係なく。
人件費が倍になるので、容易なことではないのはわかる。
しかし、たった1人で作業すれば、ミスは起こりやすいのだ、どうしても。
(何人もいると、かえって気のゆるみからミスを起こす、という指摘もあるかもしれないが)

わたしの仕事は、人命に関わるほどシビアなものではないが、必ずダブルチェック、ときにはトリプルチェックを行う。
何度もチェックしているのに、ミスを見逃してしまうこともある。
そんなときは、本当に自分のことが嫌になる。
そのたびに、くり返しくり返し、対策を練り、ミスを減らす努力をしてきた。
それでも、ゼロにするのは難しい。
かなしいことだが、ミスをなくせないのは、結局は人間のやることだからだ。
(機械は人間の生み出したものだから、機械のやることも信用はおけない)
非常に細かく精巧なものをつくれたり、オリンピックの記録を更新し続けたり、人間の能力には、きっと限界はない。
それとは逆に、100%完璧にこなすことも、きっとできない。
誰にでもできるのは、手間と時間をかけることだ。

しかし、手間と時間とお金をかけることを惜しむのが、世の風潮。
不況だからとか、市場経済だからとか、もっともらしく言われても、わたしは納得いかない。
時間(短時間で)とお金(安く)とクオリティー(高品質のものを=安全に)、
この3つ全てを満たすものを望んではいけない。
命につながる仕事に携わる方々には、そのことを特に肝に銘じてほしい。

給食に
2006年04月25日 (火) | 編集 |
今日の仰天ニュース。
担任の給食に抗うつ剤混入、だそうな。

「やさしくなってほしかった」だそうな。
やさしくって、どういうことを言うんだい?

インターネットで簡単に薬を買えることや、
薬を本来の用途以外に使うこと、
しかも他人の食べ物に混ぜることへの抵抗のなさ。
恐ろしい。
言ってみれば、アメリカの牛肉輸入問題にも通じると思う。
他人の食う物なんて、どうでもいいんだ。
やはり、これも時代なのだろうか?

と、ここまで書いて思い出した。
中学時代の先輩たちが、担任の給食のシチューに、ママレモンを入れたことがあると言っていた。
薬どころじゃない、洗剤だよ?
笑って語れちゃう、笑って聞いてしまう、その神経はなんなんだ。
あの人たちは(もちろんわたしも)、もういい大人だ。

時代時代と誤魔化していいわけがない。

愛と感謝を語ろう(マイ・ディア)
2006年04月25日 (火) | 編集 |
久々に、氷室冴子『マイ・ディア *親愛なる物語*』を読みました(かれこれ1ヶ月近く前のことですが)。

氷室さんが、大好きな「家庭小説」への想いを綴ったエッセイ。
(一応補足すると、家庭小説とは『赤毛のアン』『若草物語』『あしながおじさん』『秘密の花園』といった類の物語を指す)
気のおけない友人との、とりとめのないおしゃべりのような文章で、リラックスして読める。
文章のそこらここらに、家庭小説への愛情がいっぱいだ。
アンやレベッカやパレアナなど、良きにつけ悪しきにつけ思い入れの強いキャラクターのこと、食べ物やドレスへの憧れなど、思い出すだけで弾んでしまう心が伝わってくる。
今風に言うと、ちょっとオタクっぽい?というくらい、よく詳しく覚えているものだ。
家庭小説が好きで好きでたまらないのだなあ、と、こちらの心までほころんでくる。
自分の好きなものを、どんなに好きか伝えて、読者にも興味を持たせる文章を書けるってすごい。
(わたしもそうなりたいものだ)


付録として「手紙」が掲載されているのだが、
本文ののほほんとした雰囲気とはうってかわって、こちらはだんだんシビアになってくる。
「けち」な性格の自分を育てたつましくも豊かであった生活の思い出から、
現代日本の親世代と子世代の憂いの指摘(というより氷室さんの憤り)へと発展。
この指摘は恐ろしく鋭い。
少し多いが、引用する。

「親の世代のひとびとは、生活実感としてもっていた美徳や風俗を、高度成長とともに惜しげもなく切り捨ててきました」
「彼らの人生は、子の世代の感謝によってしか、祝福されない」
「若い連中は豊かな時代を、当然のように享受していて、感謝するどころではない。貧乏をしらない世代が、貧乏をイヤだといい、親の世代の貧乏を嗤う」
「子どもも危機であるように、親たちにとっても危機であり、残っている時間は少ないぶんだけ、親の世代の人々に、絶望ににた共感と怒りがあります」
「わたしは大人対子供の二元論で、大人をとらえることができない」
「子供が大人の抑圧によって傷ついているのだとしたら、大人もまた、時代の抑圧に翻弄されているように思える」


15年以上経っても、問題はちっとも改善されていない。
今日は、時代背景と子供の不幸ばかり叫ばれているが、親世代の不幸にも焦点を当てた氷室さんの指摘に、目から鱗が落ちた。
2006年の大人も子供も、政治家も教師もサラリーマンも経営者もプー太郎も、金持ちのぼんぼんも苦学生も、まだ今日のことしか考えられない幼い子も、みんなに読んでほしい。
ここで詳細を書くことはとてもできないので、
どうにかしてこの本を手にして、手紙部分だけでも読んで欲しい。