2006年04月02日 (日) | 編集 |
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井沢元彦『逆説の日本史5 中世動乱編』読了。
去年の大河ドラマ、「義経」。
わたしの最大の関心事は、「義経が頼朝に追われる身となった訳をどう描くか」だった。
なんだけど、どうもイマイチすっきりしなかった。
たしか、
1)頼朝は嫡流だが、義経は傍流。兄弟とはいえ、義経は家臣に過ぎない。という思いから、当初から頼朝は義経をあまり好ましく思っていなかった。
2)頼朝の許可を得ずに、後白河上皇から官位や所領を授かったことに、頼朝が腹を立てた。上皇のお気に入りであり、京で人気があり、戦上手の義経が、将来もっと立場を強くすることに不安を抱いた。
3)頼朝側近の梶原景時と義経は馬が合わず、讒言があった。三種の神器も失われてしまったし。
というような理由が出されていたような気がする。
でも、打倒平家にあれほど貢献した義経を討伐することになる理由としては、どうも説得力が弱いと感じた。
まあ、半分寝ながら見ていたりもしたのが悪いのかもしれないけれど、
頼朝が連発する「九郎は何もわかっておらぬ」というセリフに、「わたしもさっぱりわかりませんがな」と思ったものだった。
この巻は、まさに源平の時代がテーマ。
頼朝、義経、北条家の働きによって、いかにして武家社会が築かれていったか、が分析されている。
上記の件を井沢さんがどう解析してくれるか、かなり期待を込めて読んだわけだが、今回はおおいに期待に応えてくれた。
鎌倉の許可なしに上皇から官位を授かった。
これが頼朝の逆鱗に触れた、というのは、間違いないらしい。
これがなぜ、義経の致命的失敗だったかというと、当時の社会背景があるらしい。
つまり、「武士」がいかに虐げられ、不当な扱いを受けていたか。
貴族の政治がいかに無能なものだったか。
武士は、自分たちの権利が正当に認められる「独立国」を求めていた。
頼朝の目的は、父の仇討ち=平家殲滅ではなく、武士の武士による武士のための政治基盤をつくることだった。
そのためには、「独立」だから朝廷の支配からうまく抜けださねばならなかった。
……うんぬん。
ところが、義経は「戦術」には長けていたけれど、「戦略」には疎い。
ただ目の前の戦いで、相手を倒すことしかできない義経。
しかしときには、仮に負けてもいいから、果たさねばならない目的がある。
たとえば、三種の神器を奪取すること。
三種の神器が手元にあれば、朝廷との交渉に使え、武士の独立へ大きく前進するはずだった。
頼朝の考え=武士が「独立」するための戦略、を理解できていなかった。
だから、上皇からの任官を勝手に受けてしまう。
おお、なるほど!
と、目から鱗が落ちた。
ドラマを見ていたときは、「鎌倉の許可なくといわれても、上皇の命令じゃ仕方ないじゃん」と、板挟みな義経を可哀想に思ったものだ。
でも、今は理解できる。
鎌倉の許可なく、上皇=朝廷から位をもらったら、武士の独立がはかれない。
しかも、武士の「長」の頼朝の弟がそんな勝手なことをしたら、もはや武士の結束は崩壊するしかない。
武士の結束といっても、頼朝は絶対の存在ではなく、便宜的な「長」にすぎない。
だから、「武士の独立」に反する義経は、切り捨てられるしかなかった。
ひとつの説として理解するとしても、これはなかなか説得力があり、義経の「悲劇」にも納得できた。
ああ、すっきり。
(ドラマの制作サイドが、そこまで描いていたつもりだったら、理解できてなくて申し訳ないけどね)
去年の大河ドラマ、「義経」。
わたしの最大の関心事は、「義経が頼朝に追われる身となった訳をどう描くか」だった。
なんだけど、どうもイマイチすっきりしなかった。
たしか、
1)頼朝は嫡流だが、義経は傍流。兄弟とはいえ、義経は家臣に過ぎない。という思いから、当初から頼朝は義経をあまり好ましく思っていなかった。
2)頼朝の許可を得ずに、後白河上皇から官位や所領を授かったことに、頼朝が腹を立てた。上皇のお気に入りであり、京で人気があり、戦上手の義経が、将来もっと立場を強くすることに不安を抱いた。
3)頼朝側近の梶原景時と義経は馬が合わず、讒言があった。三種の神器も失われてしまったし。
というような理由が出されていたような気がする。
でも、打倒平家にあれほど貢献した義経を討伐することになる理由としては、どうも説得力が弱いと感じた。
まあ、半分寝ながら見ていたりもしたのが悪いのかもしれないけれど、
頼朝が連発する「九郎は何もわかっておらぬ」というセリフに、「わたしもさっぱりわかりませんがな」と思ったものだった。
この巻は、まさに源平の時代がテーマ。
頼朝、義経、北条家の働きによって、いかにして武家社会が築かれていったか、が分析されている。
上記の件を井沢さんがどう解析してくれるか、かなり期待を込めて読んだわけだが、今回はおおいに期待に応えてくれた。
鎌倉の許可なしに上皇から官位を授かった。
これが頼朝の逆鱗に触れた、というのは、間違いないらしい。
これがなぜ、義経の致命的失敗だったかというと、当時の社会背景があるらしい。
つまり、「武士」がいかに虐げられ、不当な扱いを受けていたか。
貴族の政治がいかに無能なものだったか。
武士は、自分たちの権利が正当に認められる「独立国」を求めていた。
頼朝の目的は、父の仇討ち=平家殲滅ではなく、武士の武士による武士のための政治基盤をつくることだった。
そのためには、「独立」だから朝廷の支配からうまく抜けださねばならなかった。
……うんぬん。
ところが、義経は「戦術」には長けていたけれど、「戦略」には疎い。
ただ目の前の戦いで、相手を倒すことしかできない義経。
しかしときには、仮に負けてもいいから、果たさねばならない目的がある。
たとえば、三種の神器を奪取すること。
三種の神器が手元にあれば、朝廷との交渉に使え、武士の独立へ大きく前進するはずだった。
頼朝の考え=武士が「独立」するための戦略、を理解できていなかった。
だから、上皇からの任官を勝手に受けてしまう。
おお、なるほど!
と、目から鱗が落ちた。
ドラマを見ていたときは、「鎌倉の許可なくといわれても、上皇の命令じゃ仕方ないじゃん」と、板挟みな義経を可哀想に思ったものだ。
でも、今は理解できる。
鎌倉の許可なく、上皇=朝廷から位をもらったら、武士の独立がはかれない。
しかも、武士の「長」の頼朝の弟がそんな勝手なことをしたら、もはや武士の結束は崩壊するしかない。
武士の結束といっても、頼朝は絶対の存在ではなく、便宜的な「長」にすぎない。
だから、「武士の独立」に反する義経は、切り捨てられるしかなかった。
ひとつの説として理解するとしても、これはなかなか説得力があり、義経の「悲劇」にも納得できた。
ああ、すっきり。
(ドラマの制作サイドが、そこまで描いていたつもりだったら、理解できてなくて申し訳ないけどね)
2006年04月02日 (日) | 編集 |
井沢元彦『逆説の日本史 4 中世鳴動編』読了。
相変わらず、井沢氏の発想は面白い。
ときに、小憎らしくもある。いや、ムカつくと言ってもいい。
この巻では、「ケガレ忌避思想」を背景にした、日本人の盲信的平和主義の分析に多くのページを割いている。
これがまた痛いところををズバズバ突いてくるので、腹立たしくもなってしまうのだ。
そういう感情を抱くのは、挑発的な文章のせいもあるが、つまり真実を突いているからなのだろう。
「有事」を想定することは、暗に有事の発生を希求することにつながる。
そして、有事に備えるには、戦い=死に備えることで、死はケガレだ。ケガレは避けなければならない。
おおざっぱにいうと、こんな感じ。
日本では、古代平安の昔から、平和平和と唱えていれば、言霊の力で平和になると信じられ、逆に有事への備えを口にすることもできない。
軍隊の保持や改憲論が避けられてきたのは、そのためだ、というわけ(井沢さんは改憲&自衛隊の「正規軍化」支持者)。
なかなか説得力があるけれど、100%賛同することはできない。
こっから先は、わたしの「感情論」かもしれない。
わたしは、つい、こう考える。
人が死ぬのは嫌だ、と。
イラクで死んだ米軍の兵士は2300人を超えたそうだ。恐ろしい話だ。
でも、その1人1人のことをブッシュ大統領が考えることはないのだろう。
まだ2300人、と考えているかもしれない。
「数」勘定でしか人を捉えないから、理屈でやるから、平気で戦争なんてできるんだ。
こう思うのも、「ケガレ思想」がわたしに染み込んでいるからなのだろうか? 井沢さん。
さて。
ムカつきながら読んでいて、本当に面白いのか、と思われるかもしれないが、本当に面白いのだ。
楽しいかと聞かれれば、悩ましいけれど。
井沢さんの指摘や発想は、鋭いし、よく練られていて、説明もわかりやすい。
そして、こちらの想像力を刺激してくれる。
中には、強引な論の運びがあったり、同意しかねる説も、もちろんある。
同意しかねる説がある、というのは、それだけこちらも考えさせられているから、だと思う。
歴史の授業が嫌いだったわたしにとっては、過去の人物たちの生きた証、として歴史を捉え、考えられるようになったのは、けっこう画期的なこと。
それだけでもこのシリーズを読む意義は、充分にある。
この中世鳴動編でわたしが特に注目したのは、
「なぜ藤原摂関政治が成立したのか」つまり、「なぜ藤原氏は天皇家を倒して自ら王とならなかったのか」という点を、井沢さんがテーマとして明記したこと。
だって、わたしもずっと不思議に思っていたことだから。
長い長い日本の歴史で、なぜか支配層の最上位は「天皇」という形式は不変だ。
もちろん、現代は「支配層の最上位」ではなく「象徴」だけど。
その謎の答え(の一つ)に、いよいよ辿り着くのか、と期待を込めて読み進んだ!
のだけれど、今回は残念ながら、肩すかしだった……
せっかく問題提起してくれたのに、結局答えは明記されず。
いつもズバズバ断言しまくる井沢節でくるかと思ったのに〜。
『源氏物語』の成立と深い関わりを持っている。
これでは答えにならないよ。
怨霊信仰との結びつき(天皇家を滅ぼして怨霊となるのを怖れた?)を言いたいのかしら。
そうだとしても、いつもならその辺りの説明をきちんと(ややくどいほどに)してくれるのに。
本当に珍しく、その「結論」がない。
わたしの読解ができていないのか?
このテーマは、藤原氏に限らず、平家しかり、源氏しかり、信長も秀吉も家康も、ずーっと続くテーマなので、後の巻できちんと説かれるのかもしれない。
期待をしたいと思う。
相変わらず、井沢氏の発想は面白い。
ときに、小憎らしくもある。いや、ムカつくと言ってもいい。
この巻では、「ケガレ忌避思想」を背景にした、日本人の盲信的平和主義の分析に多くのページを割いている。
これがまた痛いところををズバズバ突いてくるので、腹立たしくもなってしまうのだ。
そういう感情を抱くのは、挑発的な文章のせいもあるが、つまり真実を突いているからなのだろう。
「有事」を想定することは、暗に有事の発生を希求することにつながる。
そして、有事に備えるには、戦い=死に備えることで、死はケガレだ。ケガレは避けなければならない。
おおざっぱにいうと、こんな感じ。
日本では、古代平安の昔から、平和平和と唱えていれば、言霊の力で平和になると信じられ、逆に有事への備えを口にすることもできない。
軍隊の保持や改憲論が避けられてきたのは、そのためだ、というわけ(井沢さんは改憲&自衛隊の「正規軍化」支持者)。
なかなか説得力があるけれど、100%賛同することはできない。
こっから先は、わたしの「感情論」かもしれない。
わたしは、つい、こう考える。
人が死ぬのは嫌だ、と。
イラクで死んだ米軍の兵士は2300人を超えたそうだ。恐ろしい話だ。
でも、その1人1人のことをブッシュ大統領が考えることはないのだろう。
まだ2300人、と考えているかもしれない。
「数」勘定でしか人を捉えないから、理屈でやるから、平気で戦争なんてできるんだ。
こう思うのも、「ケガレ思想」がわたしに染み込んでいるからなのだろうか? 井沢さん。
さて。
ムカつきながら読んでいて、本当に面白いのか、と思われるかもしれないが、本当に面白いのだ。
楽しいかと聞かれれば、悩ましいけれど。
井沢さんの指摘や発想は、鋭いし、よく練られていて、説明もわかりやすい。
そして、こちらの想像力を刺激してくれる。
中には、強引な論の運びがあったり、同意しかねる説も、もちろんある。
同意しかねる説がある、というのは、それだけこちらも考えさせられているから、だと思う。
歴史の授業が嫌いだったわたしにとっては、過去の人物たちの生きた証、として歴史を捉え、考えられるようになったのは、けっこう画期的なこと。
それだけでもこのシリーズを読む意義は、充分にある。
この中世鳴動編でわたしが特に注目したのは、
「なぜ藤原摂関政治が成立したのか」つまり、「なぜ藤原氏は天皇家を倒して自ら王とならなかったのか」という点を、井沢さんがテーマとして明記したこと。
だって、わたしもずっと不思議に思っていたことだから。
長い長い日本の歴史で、なぜか支配層の最上位は「天皇」という形式は不変だ。
もちろん、現代は「支配層の最上位」ではなく「象徴」だけど。
その謎の答え(の一つ)に、いよいよ辿り着くのか、と期待を込めて読み進んだ!
のだけれど、今回は残念ながら、肩すかしだった……
せっかく問題提起してくれたのに、結局答えは明記されず。
いつもズバズバ断言しまくる井沢節でくるかと思ったのに〜。
『源氏物語』の成立と深い関わりを持っている。
これでは答えにならないよ。
怨霊信仰との結びつき(天皇家を滅ぼして怨霊となるのを怖れた?)を言いたいのかしら。
そうだとしても、いつもならその辺りの説明をきちんと(ややくどいほどに)してくれるのに。
本当に珍しく、その「結論」がない。
わたしの読解ができていないのか?
このテーマは、藤原氏に限らず、平家しかり、源氏しかり、信長も秀吉も家康も、ずーっと続くテーマなので、後の巻できちんと説かれるのかもしれない。
期待をしたいと思う。
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