本読みの感想(ネタバレあり)を中心に、日々のことごとを。
本読み、まとめてアップ
2006年03月29日 (水) | 編集 |
ため込んでいた本読みの記事を、まとめてアップしました。
『これは王国のかぎ』
『ぬしさまへ』
『しゃばけ』
『バッテリーIV』
です。

次の本読みアップは、『逆説の日本史』4・5巻、『マイ・ディア』の予定です。
なんて、また予告しちゃって大丈夫なのか?

相変わらず、文が長いです。
なるべく短く、短くと思うんですけど……(嘆息)。
短くて面白い文章を書けるようになりたいです。

明日の自分を立ち上がらせる力(これは王国のかぎ)
2006年03月29日 (水) | 編集 |
荻原規子『これは王国のかぎ』読了

荻原さんの作品で既読分は、『西の善き魔女』シリーズと「勾玉三部作」。
これらのイメージを持って読んだら、けっこう違っていた。
まず、一人称の語り口(妙に軽薄な感じもする調子に、実は最初面食らった)。
そして、異世界探訪譚であること。
主人公が見知らぬ世界へ突然放り出され、その世界の常識も知識も持ち合わせていない。
ただいま映画化で話題の「ナルニア国物語」などに代表されるスタイルだ。
よくあるパターンだけど、これで読者は主人公にシンクロしやすくなる。

失恋した少女は、気がつくとアラビアンナイトな世界にいた。
ここで面白いのが、「ふつうに人間の子」ではなく、魔神族(ジン)として特殊能力を発揮しまくるところだ。
「もといた世界」の「嫌いな自分」とは正反対。
「好きになれそうな自分」として、「こちらの世界」では存在している。
最初に「これはきっと夢だ」と思ったように、ある意味「理想的な」世界なのだ。
この展開は、なかなか胸躍るものがある。

主人公は「もといた世界」の名前も捨てて、新しく「ジャニ」という名前を手に入れ、夢に見た「冒険」を楽しむ。
でも、けっきょくは、たとえ異世界へ行こうとも魔神族になろうとも、「あたし」の本質は変わらないことに気づく。
そうして、本質は変わらないけれども、簡単にはくじけない心を得る。
いつの間にか、ほんの少しだけれど、成長していたみたい、と自分を受け入れられるようになる。

ところで、失恋した女の子が異世界へ行って少し成長して戻ってくる、といえば、氷室冴子の『シンデレラ迷宮』。
少女は、白雪姫、白鳥の湖、眠り姫、ジェーン・エアな世界(別々ではなく地続き)を旅する。
異世界のベースが、もともと「お話」であることは、『これは王国のかぎ』との共通点。
一人称で書かれているので、主人公に同調しやすいのも、同じ。
異世界で「冒険」をしているうちに、「元いた世界」での自分を思い出して、冷静に考えられるようになる。
あまり強くはないけれど、自分で一歩踏み出す勇気を見つける、そういう主人公に共感するのだ。

その昔、わたしは落ち込むことや悲しいことがあると、『シンデレラ迷宮』のお気に入りのシーンとラストシーンを拾い読みして、慰めて、明日の自分を立ち上がらせる力を分けてもらっていたものだった。
自分では内面世界へと閉じこもることもできなかったから、かわりにリネと一緒に「シンデレラ迷宮」へ行っていたのかもしれない。

と、懐かしい気分にちょっぴりひたったりして。
最近では、『これは王国のかぎ』を読むことで、弱った自分の心を少しでも元気づけている子たちがいるのかなあ、と思う。

畠中江戸物語つまみぐい(ぬしさまへ)
2006年03月29日 (水) | 編集 |
畠中恵『ぬしさまへ』読了(3週間くらい前)。

『しゃばけ』続編。こちらは短編集。
正直に言って、少し面白味に欠けた印象を持った。
そのわけは、いくつか思いつく。

1)続編だから……ファーストインパクトにかなうものなし。
2)短編だから……どうしたって、メリハリが弱い。
3)連載だったから……初めての読者を意識して、基本設定の説明が毎回含まれるもどかしさ。
4)『しゃばけ』は、文学賞への応募作品(優秀賞)だったから
 ……創作へのエネルギー(準備、時間、情熱etc...)の違い。だからいいとか悪いとかではなく。

たぶん、ね。

ひとつひとつの話は短いので、当然ながら『しゃばけ』に比べてとんとん拍子に進む。
その分、深みはない。
それを物足りないと思うか、気軽に楽しめると思うかは人それぞれだろう。
わたし個人は、前者だったわけだが。

江戸もの、しかも大店の若だんなが主人公で、人間とはちょっと感覚のずれた妖怪が脇を固めるという、とぼけた雰囲気が漂うのは前作同様。
そこへもってきて、色男・仁吉の恋物語だとか、幼なじみの危機だとか、若だんなの兄さんはどうしたかとか、気になるエピソードも豊富。
畠中江戸物語へと旅立つなら、もちろん充分に楽しめる。
つまみ食いにはもってこいかもしれない。

思うようにならない江戸の空気感が好きだ(しゃばけ)
2006年03月28日 (火) | 編集 |
畠中恵『しゃばけ』読了(1ヶ月くらい前)。

杉浦日向子さんが亡くなり、もうこれで江戸の空気感をもたらしてくれる人はいないのだと、淋しく思っていた。
ところがどっこい、ちゃんといた。
畠中恵さんの江戸描写は、杉浦さんと同じく、あたかも江戸に暮らしていた(る)人のよう。
実際に見て、肌で触れなければ得られないと思われるような現実感と、
日常のことだからとくに意識して書いたわけじゃないよ、とでも言うかのようなあっさりさ。
この心地よさ。
「思いついて江戸を舞台にしてみました」という薄っぺらさもなく、「めいっぱい想像して、江戸に思いを込めました(江戸浪漫)」という重さもない。
絶妙なバランス。

舞台は江戸。主人公は大店の若だんな。脇を固めるのは妖怪。
この組み合わせだけでも、ワクワクするものがあるが、
なんとも面白いのは、この若だんながひどく病弱なところだ。
彼は、ひとりでは何もできないと言ってもよいくらい、体が弱い。
だから、奉公人であり育ての兄やでもある妖の協力が欠かせない(他人には妖であることは明かされていない)。
親は大いに甘く、心配性。
あれは危ない、これは良くない、夏は暑い、冬は寒い、と言って、若だんなに何もさせようとはしない。
けれど彼は、今どきの若者のように、キレたりしない。
なぜなら、いつ死んでもおかしくないこの身を大事にしてくれる人々の愛情と恩義を、少々重たく感じながらもきちんと心得ているからだ。
だから悶々としながらも、今の自分にできる範囲で精一杯やろうとしている。

若だんなには、「健康」と「周囲の心配」という、障害がある。
妖といえども万能ではないし、人とはどこかずれた感覚をしていて、頼み事も思うように進まない。
江戸の世では、何をするにも今よりもずっと時間も手間も面倒もかかる。
そんな制限の中、若だんなには胸に秘める大それた計画があり、周囲では不穏な事件も勃発。
頭を悩ませるさまざまを、なんとか解決しなきゃならない。
「できることを精一杯」やって、少しずつ前進していくさまが面白く、とても好感を持てる。
なにやらとぼけた雰囲気を味わいながら、ミステリーの醍醐味も楽しめる。
そんな、二度おいしい作品だ。

天才×凡人×一般人(バッテリーIV)
2006年03月28日 (火) | 編集 |
あさのあつこ『バッテリーIV』読了(2ヶ月前に…)
さあ試合だー! と楽しみにしてページを開いたら、いきなり試合後から始まったので、ちょっと拍子抜けしましたよ。

天才vs凡人(豪はどこまで巧についていけるのか)の構造がより明確に。
なにしろ、「天才・凡人」ペアがもう一組増えたから。
二組の「天才vs凡人」、ひとつの歴史は短く、もうひとつは長い。
はたしてそこに、どんな差が出るのか。
次の対決に期待したい。

そして、乱入してきたのが「一般人」代表、吉貞。
カッコイイから、もてるから、野球をやるんだ、という。
原田も永倉も、なんでそんなに深刻なんだよ? というある意味ノーテンキで明るいキャラ。
実は、前巻まではウルサイやつだなーと、あまり注目していなかった。
まあ、こういうお調子者キャラもいないと、どんどん重苦しくなりそうだしね、くらいに思っていた。
それがここへきて、「なんで野球をやるの?」という命題にストレートに絡んできた。
巧や豪は、まるで野球に命を捧げているかのよう。
でも、多くの部員は、「楽しいから、好きだから、やりたいから、(ときには成績のため)」野球をするのであって、そんなに重たく考えていない。
それでどこが悪いわけ?
と、身軽に飛び込んできた。
そりゃそうだ。たかが中学生の部活だ。そんな深刻なヤツばかりだったらおかしい。
どうかすると、神経削ってまで野球に打ち込んでいる巧や豪ばかりエライような錯覚を覚えそうだけれど、吉貞のような「素直」なのだって、それでいいんだもの。
というわけで、わたしの中では吉貞株急上昇である。

この巻は、巧が暴れない。ジコチューの権化みたいなヤツなのに、おとなしい。
チームメイトとじゃれあうシーンまであって、なんだか丸くなったみたい。
そのせいもあって、ちょっと物足りなさも感じる。
全体に、あまりストーリーは進まないし。
でも、実は物語全体では大きな転換期である。
「個」から「チーム」へと、テーマが移行してきたからだ。
今まで、「原田巧」という天才だけどわがままなヤツ、という「個」が中心だった。
ところが、ここへきて豪、吉貞や東谷に沢口ら1年生、野々村キャプテン、先輩ピッチャーの高槻、海音寺前キャプテン、顧問のオトムライまで巻き込んで、「新田東中野球部」という「チーム」の変化が問われ始めてきた。

そしてもちろん、ライバルチームの存在も大きい。
天才と、凡人と、一般人の、それぞれの活躍と、相互作用がどうでるか、楽しみだ。

モニタ新調
2006年03月27日 (月) | 編集 |
myパソコンで復活です。
しかたがないので、モニタを新規購入してきました。
う〜む、珍しく早業だぁ(笑)

入れ替わりに3人の店員さんと1時間半も問答の末、選んだのはナナオの液晶ディスプレイ17インチ。
今まで使っていたのがCRTの19インチなので、サイズダウンかと思いきや、
これで実際の表示サイズは同じですよ、ってことなんだけど、正直よくわからない。
だって、比較対象がもう映らないんだもの。
極端に大きくも小さくもなった印象がないので、まあたぶん同じくらいなのでしょう。

その他もろもろ、スペックは各機種一長一短、財布と相談しながらさんざん悩んだけれど、
動画より制止画重視、ものがしっかりしていそう、Macと相性がいいらしい、ってことでこれに決定。
ただ、今度のモニタは最大画素数が1280×1024で、前のより小さいのが、少し物足りないかなあ。
まあ滅多に1600×1200なんて画素数にはしてなかったけどね。

液晶よりCRTの方がまだまだ映りは美しいんじゃないかと、思うのだけど、どーなんでしょう?
写真も、デジカメばやりだけれど、やっぱりポジの方が美しいし。
不連続より、連続の方がいいっていうのかしら(CRTも連続じゃないか)。

けっきょくのところ、液晶にした最大の利点は、重量がぐっと減ったことで、スペックはぜんぜん関係ないのかも、実は(笑)。
今まで、パソコン使用中に大きな地震が起きたら、
押しつぶされる可能性大な危険な状況だったけれど(モニタ重量25kg以上!)、
今度のモニタは、受けとめられる自信があるもの(5kg超)。

モニタスパーク!
2006年03月26日 (日) | 編集 |
PCのモニタがやばいかも、ということを書いたのは11月のことでしたが、
とうとうこの日が来てしまいました。

「バシィッ!!」というラップ音もびっくりな派手な音とともに、
画面がビカビカビカッと数度瞬き、
あえなくお亡くなりになってしまいました……

電源ランプが点いたり消えたりしているので、
まだ完全なるご臨終ではないのだけれども、
でももうこれ以上は無理させられないよねえ……
というか、仮に画面が復帰しても、こんな状況じゃこっちの心臓に無理がある。

画面が見えなきゃ、仕事のデータ(ウィ○ーは入ってません!)を取り出すこともできやしない。
もちろん、サイトの更新もできやしない(え〜?)

今、とってもフトコロが涼しいのに〜。
ああ〜、弱ったなあ〜(泣)

(この記事は、家人PC拝借でお届けしました〜)

世界一に浮かれる夜に
2006年03月23日 (木) | 編集 |
WBCで日本の野球世界一に輝いたわけですが、
韓国の人たちは複雑な心境だろうなー、と想像していたら、
やっぱり言ってましたね。
「日本は幸運な世界一だった」だっけ?
日本の戦績はけして良いとは言えないのに、優勝しちゃった、
それにひきかえ韓国は、準決勝まで全勝で進んだのだから、戦績は一番良いのに、てなわけ。

その気持ちは、ヒジョーによくわかる。
かつて、シドニーオリンピックのソフトボールでも、同じようなことが。
負けなしで決勝に進んだ日本は、最後の最後にアメリカに敗れて銀メダル。
アメリカは予選でいくつか負けてるんだよね。
日本も、予選ではアメリカに勝っていたし、8勝1敗という数字は最優秀なのに〜、
なんて、応援していた身としては、負け惜しみも言いたくなったものです。

しかし、スポーツなんだから、ルールはルール。
ごちゃごちゃ言わないのが、美しい。
優勝は優勝。間違いない。
「どこで勝つか」という勝負所を押さえるのも、勝負師としての力のひとつだ。
とは思うけど、やっぱり個人的にはこれで「世界一」と浮かれていいもんか、とも思う。
世界一と威張っていいほどに、力を見せつけてくれたらな、とかね。
欲深というか、なんというか。

今回が初めてだから、いろいろ課題はあるだろうし、
ぜひとも次回は、文句なしの世界一が決まるような大会にしてもらいたいものだ。
(めんどくさいから全部リーグ戦にすれば?)

またしても歓喜の生存報告
2006年03月22日 (水) | 編集 |
最近、身近に喜ばしいことが多発中。
友人にお子さんが産まれました。
友人の妊娠が発覚しました。しかも2人。
友人が新居を建てました。

そして、弟子から「結婚することになりました」電話あり。
ここ数年、まともに連絡もとってなかったというのに、
「師匠にはまず連絡しなくちゃ、と思って」という。
くぅ〜、律儀なやつめ。おいらぁ嬉しいよ。
本当におめでとう!

うん、うん、みんな、めでてぇなあ。よかったなあ。
ああ、それにしても、ふところはいてぇなあ(笑)。