2005年12月27日 (火) | 編集 |
荻原規子『西の善き魔女』文庫版第8巻読了。
外伝も含め(というかこの8巻自体外伝だが)、これで正真正銘の完結。
本編の巻頭に必ず載っている、わらべ歌の謎も、これでようやく解消。
つまり、プロットは最初からこの外伝を含めてできていたということか。
恐るべし、荻原規子。
すごいなあ。感服です。
そういう意味では、存在価値のある話なのだけれど、
実を言うとわたしの正直な感想としては、この話は蛇足だ。
蛇足が言い過ぎなら、おまけ。
観客のアンコールにお応えした、カーテンコール。
つまり、やっぱりなくてもいいもの。
なぜかといえば、本編最後の決着と実質ほとんど何も変わっちゃいないから。
そもそも、フィリエルとルーンを引き離すのが、もはや無理矢理なのだ。
このふたりは、離れてくれなきゃ物語にならないから仕方ないのだろうけど、
その「仕方なく二人を離して物語を始めました」と感じさせてしまうのが、蛇足の証明にすぎない。
もっと不満なのが、バード&フィーリのなんでもあり、なところ。
バードの再生については、なかなか意外性があって面白かった。これはよし。
でも、記憶操作や、ある種の瞬間移動、常にどこからでも見張っていること、そして最強の攻撃性、データの共有(しかも瞬時に)……
そういう万能すぎるところが、はっきりいって、つまらない。
それまでの7巻(いや、実質6巻)で生み出したリアリティーががらがらと音をたてて崩れていってしまうのだ。
女王家の秘密を知らないころのフィリエルたちには、超ローテクの生活しかなかった。
旅をするにも馬か徒歩だし、火をおこすのも食事を作るのも大変な手間がかかる。
そういう描写を丁寧に積み上げて、リアルさを出してきた世界なのに、
ここへきてバードやフィーリにやりたい放題に能力を発揮されると、興醒めだ。
それと、たぶん作者の荻原さんもこのローテクと万能のギャップを消化しきれずに書いていたのじゃないかと思うのだが、
彼らの超越ぶりへの、フィリエルたちのリアクションが、へん。
なんでもっと「???」とならないの?
なんでそんな簡単に、受け入れちゃうの?
そりゃ、いずれ受け入れてもらわなきゃ話は進まないけど、だからってあっさりしすぎ。
本編のラストである第6巻でも、そういうところがあったけど、
そのあっさりさが、リアリティーのなさを醸し出しちゃうのだよ。
ここでいうリアリティーとは、もちろん、我々の世界に換算してのことではなく、
その物語世界の中で、いかに存在感があるかってことだ。
バードとフィーリはとにかくすごいんだ、ていうなら、「西の善き魔女世界」の中で、そのすごさが本当っぽくないと。
そこが白けてしまうと、物語のリアリティーが薄くなってしまうではないか。
なんというか、最後にちょっと残念というか、寂しい気持ちだ。
外伝も含め(というかこの8巻自体外伝だが)、これで正真正銘の完結。
本編の巻頭に必ず載っている、わらべ歌の謎も、これでようやく解消。
つまり、プロットは最初からこの外伝を含めてできていたということか。
恐るべし、荻原規子。
すごいなあ。感服です。
そういう意味では、存在価値のある話なのだけれど、
実を言うとわたしの正直な感想としては、この話は蛇足だ。
蛇足が言い過ぎなら、おまけ。
観客のアンコールにお応えした、カーテンコール。
つまり、やっぱりなくてもいいもの。
なぜかといえば、本編最後の決着と実質ほとんど何も変わっちゃいないから。
そもそも、フィリエルとルーンを引き離すのが、もはや無理矢理なのだ。
このふたりは、離れてくれなきゃ物語にならないから仕方ないのだろうけど、
その「仕方なく二人を離して物語を始めました」と感じさせてしまうのが、蛇足の証明にすぎない。
もっと不満なのが、バード&フィーリのなんでもあり、なところ。
バードの再生については、なかなか意外性があって面白かった。これはよし。
でも、記憶操作や、ある種の瞬間移動、常にどこからでも見張っていること、そして最強の攻撃性、データの共有(しかも瞬時に)……
そういう万能すぎるところが、はっきりいって、つまらない。
それまでの7巻(いや、実質6巻)で生み出したリアリティーががらがらと音をたてて崩れていってしまうのだ。
女王家の秘密を知らないころのフィリエルたちには、超ローテクの生活しかなかった。
旅をするにも馬か徒歩だし、火をおこすのも食事を作るのも大変な手間がかかる。
そういう描写を丁寧に積み上げて、リアルさを出してきた世界なのに、
ここへきてバードやフィーリにやりたい放題に能力を発揮されると、興醒めだ。
それと、たぶん作者の荻原さんもこのローテクと万能のギャップを消化しきれずに書いていたのじゃないかと思うのだが、
彼らの超越ぶりへの、フィリエルたちのリアクションが、へん。
なんでもっと「???」とならないの?
なんでそんな簡単に、受け入れちゃうの?
そりゃ、いずれ受け入れてもらわなきゃ話は進まないけど、だからってあっさりしすぎ。
本編のラストである第6巻でも、そういうところがあったけど、
そのあっさりさが、リアリティーのなさを醸し出しちゃうのだよ。
ここでいうリアリティーとは、もちろん、我々の世界に換算してのことではなく、
その物語世界の中で、いかに存在感があるかってことだ。
バードとフィーリはとにかくすごいんだ、ていうなら、「西の善き魔女世界」の中で、そのすごさが本当っぽくないと。
そこが白けてしまうと、物語のリアリティーが薄くなってしまうではないか。
なんというか、最後にちょっと残念というか、寂しい気持ちだ。
2005年12月25日 (日) | 編集 |
小林めぐみ『食卓にビールを』5巻、読了。
うーむ、また知らないうちに出ていたよ。
最近、小林さんのサイト更新されてないからなあ……情報元が止まっちゃうと痛いです。
小林さんの本は、書店で補充されないから、出たらすぐ買わないと手に入らないのに。
5巻は、書き下ろしが多いな。
というか、8本中6本だから、ほとんどじゃん。
このシリーズは、連載分の方が好きなので、ちょっと残念。
書き下ろし分は、どことなく面白さが弱いと思う。
ん〜、連載分より凝り過ぎているのかな?
書き下ろしが多いせいかどうかは分からないけど、
今回は全体にマニアック度&突拍子のなさ、が弱い気がする。
それとも、やはりもう5巻目、しかも4巻を読んでからさほど経っていないので、
慣れてしまったのかしら?
うーん、宇宙人のアホっぷりも、4巻の方がパワーがあったような気がするなあ。
……やっぱり、慣れ?
うーむ、また知らないうちに出ていたよ。
最近、小林さんのサイト更新されてないからなあ……情報元が止まっちゃうと痛いです。
小林さんの本は、書店で補充されないから、出たらすぐ買わないと手に入らないのに。
5巻は、書き下ろしが多いな。
というか、8本中6本だから、ほとんどじゃん。
このシリーズは、連載分の方が好きなので、ちょっと残念。
書き下ろし分は、どことなく面白さが弱いと思う。
ん〜、連載分より凝り過ぎているのかな?
書き下ろしが多いせいかどうかは分からないけど、
今回は全体にマニアック度&突拍子のなさ、が弱い気がする。
それとも、やはりもう5巻目、しかも4巻を読んでからさほど経っていないので、
慣れてしまったのかしら?
うーん、宇宙人のアホっぷりも、4巻の方がパワーがあったような気がするなあ。
……やっぱり、慣れ?
2005年12月23日 (金) | 編集 |
初めて観る、谷山浩子のソロコンサート。
いつもは必ず石井AQ氏がいて、体温の低い夫婦漫才がごとく、
楽しいトークが聞けるのですが、今日はピンの谷山さんで約2時間。
やはり一人だと、ちょっと調子が違うみたい。
いつもよりちょっと緊張して、気持ちも昂ぶっている模様。
それはそれで、面白いような。
選曲は無難で、照明もシンプルで、なんつーか、あんまりメリハリのないコンサートでしたな。
まあ、わたしは谷山さんの「普通にきれいな歌」も好きなので、それなりに楽しめたけど、
やっぱりもうちょっとこう、変な曲とか、暴れた照明とか、やって欲しかったなーという気はします。
360度型コンサートに慣れてしまうと、マニアックなのを期待してしまうのかも。
とはいえ、予想外の展開で、なんと2回もアンコールがあった。
客席に灯りが点こうが、アナウンスが流れようが、めげずに拍手を続けたお客さんたちの粘り勝ち。
なんだろう、滅多に谷山さんなんてやってこないから?
いやいや、アンコールの「スペシャル」が効いたのか?
はたまた、実は初心者にはものすごく楽しいコンサートだったのか?
うう〜む、楽しかったのならなにより。
やはり、わたしはマニアックになってしまってるのかなあ。
ところで、選曲のテーマが、早朝→午前→午後→夕方→夜、と、
1日の時間経過になっていたのは、オーソドックスだけど、なかなか良い企画。
谷山さんの歌には、逢魔が刻(早朝&夕方)と夜が多かったのは、予想通り。
こういう企画は、さすが持ち歌がベラボーに多い谷山さんならでは。
今度は、春夏秋冬とか、世界一周とか、そういうのもいいかもね。
いつもは必ず石井AQ氏がいて、体温の低い夫婦漫才がごとく、
楽しいトークが聞けるのですが、今日はピンの谷山さんで約2時間。
やはり一人だと、ちょっと調子が違うみたい。
いつもよりちょっと緊張して、気持ちも昂ぶっている模様。
それはそれで、面白いような。
選曲は無難で、照明もシンプルで、なんつーか、あんまりメリハリのないコンサートでしたな。
まあ、わたしは谷山さんの「普通にきれいな歌」も好きなので、それなりに楽しめたけど、
やっぱりもうちょっとこう、変な曲とか、暴れた照明とか、やって欲しかったなーという気はします。
360度型コンサートに慣れてしまうと、マニアックなのを期待してしまうのかも。
とはいえ、予想外の展開で、なんと2回もアンコールがあった。
客席に灯りが点こうが、アナウンスが流れようが、めげずに拍手を続けたお客さんたちの粘り勝ち。
なんだろう、滅多に谷山さんなんてやってこないから?
いやいや、アンコールの「スペシャル」が効いたのか?
はたまた、実は初心者にはものすごく楽しいコンサートだったのか?
うう〜む、楽しかったのならなにより。
やはり、わたしはマニアックになってしまってるのかなあ。
ところで、選曲のテーマが、早朝→午前→午後→夕方→夜、と、
1日の時間経過になっていたのは、オーソドックスだけど、なかなか良い企画。
谷山さんの歌には、逢魔が刻(早朝&夕方)と夜が多かったのは、予想通り。
こういう企画は、さすが持ち歌がベラボーに多い谷山さんならでは。
今度は、春夏秋冬とか、世界一周とか、そういうのもいいかもね。
2005年12月11日 (日) | 編集 |
10(土)・11(日)、山梨へ行ってきました。
出産したばかりの友人と、その赤ちゃんに会いに。
甲府は正真正銘盆地で、そして富士山が近かった。
久々のでっかい富士山は、やっぱり感動ものでした。
赤ちゃんはまだ生まれて3週間。
目もまだよく見えない、たぶん音もよく聞こえない、そんな状態。
お母さんとよく似た、愛らしい赤ちゃん。
もともと友人は、いかにも母親が似合いそうな人だったけれど、
これがまた予想以上に母親らしく、感心してしまった。
それにしても、赤ちゃんというのは不思議な生き物だ。
誤解を恐れずに言えば、「まだ人間じゃない」みたい。
だって、おくるみに包まれて、うにゃうにゃと泣いて、身じろぎする様は、
どう見ても、わたしたち「人間」と同じ生き物に見えないもの。
この触れればもろく壊れてしまいそうな、意思疎通もできなそうな生命が、
やがて成長して、わたしたちと同じ系譜につながっていくのかと思うと、不思議な気がする。
多くの動物は、この世に登場したら、まもなく自分で立ち上がり、
食を得ようとする能力を持っているじゃない。
それが、人間の赤ちゃんは、立って歩くのに何ヶ月もかかるし、
お乳だって、全部お膳立てしてもらわなきゃ手に入れられない。
10ヶ月もかかってでてくるくせに、
なんだって、こんなにも無防備に生まれてくるのだろう。
不思議で不思議で、仕方ない。
理屈では、わかっている。
人間ほどに発達してしまったら、お母さんのお腹の中ではそこまで成長しきれないって。
たぶん、お母さんのお腹の中は狭すぎるのだろうって。
でも、やっぱり、なんでこんなに無防備なのか。
いや、だからこそ、おとなたちは、守ってやらなきゃいけないんだろう。
愛情を注いで、守り抜いてやらなきゃいけないのだろう。
出産したばかりの友人と、その赤ちゃんに会いに。
甲府は正真正銘盆地で、そして富士山が近かった。
久々のでっかい富士山は、やっぱり感動ものでした。
赤ちゃんはまだ生まれて3週間。
目もまだよく見えない、たぶん音もよく聞こえない、そんな状態。
お母さんとよく似た、愛らしい赤ちゃん。
もともと友人は、いかにも母親が似合いそうな人だったけれど、
これがまた予想以上に母親らしく、感心してしまった。
それにしても、赤ちゃんというのは不思議な生き物だ。
誤解を恐れずに言えば、「まだ人間じゃない」みたい。
だって、おくるみに包まれて、うにゃうにゃと泣いて、身じろぎする様は、
どう見ても、わたしたち「人間」と同じ生き物に見えないもの。
この触れればもろく壊れてしまいそうな、意思疎通もできなそうな生命が、
やがて成長して、わたしたちと同じ系譜につながっていくのかと思うと、不思議な気がする。
多くの動物は、この世に登場したら、まもなく自分で立ち上がり、
食を得ようとする能力を持っているじゃない。
それが、人間の赤ちゃんは、立って歩くのに何ヶ月もかかるし、
お乳だって、全部お膳立てしてもらわなきゃ手に入れられない。
10ヶ月もかかってでてくるくせに、
なんだって、こんなにも無防備に生まれてくるのだろう。
不思議で不思議で、仕方ない。
理屈では、わかっている。
人間ほどに発達してしまったら、お母さんのお腹の中ではそこまで成長しきれないって。
たぶん、お母さんのお腹の中は狭すぎるのだろうって。
でも、やっぱり、なんでこんなに無防備なのか。
いや、だからこそ、おとなたちは、守ってやらなきゃいけないんだろう。
愛情を注いで、守り抜いてやらなきゃいけないのだろう。
2005年12月04日 (日) | 編集 |
小林めぐみ『食卓にビールを』4巻読了。
作者HPで、発行延期となってたままなので、油断していたらすでに出ていた。
だまされたよ、もう。
相変わらずのドタバタストーリー。
物理オタク度は低下傾向にあるけど、その分、他の雑多なオタク度が上がりまくってる。
なんか、商品名とかメーカー名とかバンバンでてくるけど、いいのかな。
余計な心配なんぞしてしまったり。
さて、物語の展開には、もうだいぶ慣れましたな。
読者も慣れたけど、主人公達も宇宙人があっさりさっくり出てきて、驚かない。
驚かないどころか、もはやほとんど宇宙人側にも隠れる気がない。
かと言って、はなから宇宙人がいるものとして話が始まるわけでなく、一応ことの起こりはごく日常的なところから。
その「日常な状況」から「SFな状況」への移行する瞬間、わたし的に言うと「隣実」の境界を越える瞬間が、心地よい。
たいした驚きを伴わず、ストンと「異世界」へ移動するのが、意外と心地よいのだ。
ある意味、こういう淡泊な対応というのは、現代人らしいというんですかねえ。
作者HPで、発行延期となってたままなので、油断していたらすでに出ていた。
だまされたよ、もう。
相変わらずのドタバタストーリー。
物理オタク度は低下傾向にあるけど、その分、他の雑多なオタク度が上がりまくってる。
なんか、商品名とかメーカー名とかバンバンでてくるけど、いいのかな。
余計な心配なんぞしてしまったり。
さて、物語の展開には、もうだいぶ慣れましたな。
読者も慣れたけど、主人公達も宇宙人があっさりさっくり出てきて、驚かない。
驚かないどころか、もはやほとんど宇宙人側にも隠れる気がない。
かと言って、はなから宇宙人がいるものとして話が始まるわけでなく、一応ことの起こりはごく日常的なところから。
その「日常な状況」から「SFな状況」への移行する瞬間、わたし的に言うと「隣実」の境界を越える瞬間が、心地よい。
たいした驚きを伴わず、ストンと「異世界」へ移動するのが、意外と心地よいのだ。
ある意味、こういう淡泊な対応というのは、現代人らしいというんですかねえ。
2005年12月04日 (日) | 編集 |
荻原規子『西の善き魔女』文庫版第7巻読了。
外伝という位置づけで、8歳のフィリエルとルーンとの出会いを描いた物語。
8歳のお祝いに、村の礼拝堂に行くんだ、と張り切るフィリエル。
第1巻で、15歳のフィリエルが、女王生誕祝祭日の舞踏会に行くんだ、と心浮き立たせていたことを思い出す。
これは、「始まりの物語」なんだなあ、と感じる。
無口で、なんでもフィリエルに付き従う人形のようなルーンが、次第に自己主張するようになる課程は、本編で大きくなったルーンの様を知っているだけに、感動的ですらある。
ルーンは、フィリエルの天真爛漫さを吸い込んで、大きくなった。
たとえ無愛想な表情は消えなくても、口答えやうろたえることを覚えたのだから。
それから、本編では一言も発しないまま姿を消した博士が、生身で登場。
予想していたよりも偏屈でもなく、優しい男だった。
エディリーンをこの上なく愛していた、不器用な男だった。
ボウ夫妻は、赤毛のアンのマシュウとマリラを彷彿とさせる。
わたしのイメージでマリラはやせた女性で、タビサ・ホーリーは大柄な太った女性なので、姿は全然似ていないが、貧しくとも慎ましく、たくましく、毅然と生きている様は、よく似ている。
マシュウとボウ・ホーリーは、不器用で朴訥としていておかみさんに頭が上がらない。そっくりだ。
ボウもきっと、「そうさな」というセリフがよく似合う。
この1冊で約1年が過ぎる。
時間の流れだけ言えば、かなり早く過ぎていく。
けれど、過去6冊に比べて、実にゆったりとした印象がある。
その分、荒れ野セラフィールドでの季節や生活が、じっくりと描かれている。
荻原さんという人が、セラフィールドで暮らしていたかのように、とてもリアルだ。
おかみさんの料理も、フィリエルの手伝いも、切りつめた生活を一時忘れるお祭りのにぎやかさも。
彼らは、確かにここに生きているのだ、と感じる。
派手な事件などなくても(あるけど)、実に読み応えがあるのだ。
****
フィリエルとルーンの絆を決定的にしたと言える、家出事件。
それは、フィリエルがルーンを殺そうとした、という大問題なのだが、
これを読みながら、昨今の若年層によるリアルな殺人事件を思い起こさずにはいられなかった。
特に、具体的に1件の事件が、強烈に頭の中にこびりついて離れなくなった。
(どの1件かは、挙げないでおくけれど)
フィリエルは、夢の中でルーンを殺してしまった。
「殺意」を抱いてしまった自分を、星女神は許さないだろうと思ったし、おそらく自分こそが許せなかった。
だから、そう願ってしまったことは、最後まで実行せざるを得ない、と思いこむフィリエル。
こんなふうな思いこみを制御できずに、本当に行動に移してしまった少年・少女がいるのではないか。
その恐ろしさや、悲しさに気づかないまま、本当の現実感を伴わないままに……
外伝という位置づけで、8歳のフィリエルとルーンとの出会いを描いた物語。
8歳のお祝いに、村の礼拝堂に行くんだ、と張り切るフィリエル。
第1巻で、15歳のフィリエルが、女王生誕祝祭日の舞踏会に行くんだ、と心浮き立たせていたことを思い出す。
これは、「始まりの物語」なんだなあ、と感じる。
無口で、なんでもフィリエルに付き従う人形のようなルーンが、次第に自己主張するようになる課程は、本編で大きくなったルーンの様を知っているだけに、感動的ですらある。
ルーンは、フィリエルの天真爛漫さを吸い込んで、大きくなった。
たとえ無愛想な表情は消えなくても、口答えやうろたえることを覚えたのだから。
それから、本編では一言も発しないまま姿を消した博士が、生身で登場。
予想していたよりも偏屈でもなく、優しい男だった。
エディリーンをこの上なく愛していた、不器用な男だった。
ボウ夫妻は、赤毛のアンのマシュウとマリラを彷彿とさせる。
わたしのイメージでマリラはやせた女性で、タビサ・ホーリーは大柄な太った女性なので、姿は全然似ていないが、貧しくとも慎ましく、たくましく、毅然と生きている様は、よく似ている。
マシュウとボウ・ホーリーは、不器用で朴訥としていておかみさんに頭が上がらない。そっくりだ。
ボウもきっと、「そうさな」というセリフがよく似合う。
この1冊で約1年が過ぎる。
時間の流れだけ言えば、かなり早く過ぎていく。
けれど、過去6冊に比べて、実にゆったりとした印象がある。
その分、荒れ野セラフィールドでの季節や生活が、じっくりと描かれている。
荻原さんという人が、セラフィールドで暮らしていたかのように、とてもリアルだ。
おかみさんの料理も、フィリエルの手伝いも、切りつめた生活を一時忘れるお祭りのにぎやかさも。
彼らは、確かにここに生きているのだ、と感じる。
派手な事件などなくても(あるけど)、実に読み応えがあるのだ。
****
フィリエルとルーンの絆を決定的にしたと言える、家出事件。
それは、フィリエルがルーンを殺そうとした、という大問題なのだが、
これを読みながら、昨今の若年層によるリアルな殺人事件を思い起こさずにはいられなかった。
特に、具体的に1件の事件が、強烈に頭の中にこびりついて離れなくなった。
(どの1件かは、挙げないでおくけれど)
フィリエルは、夢の中でルーンを殺してしまった。
「殺意」を抱いてしまった自分を、星女神は許さないだろうと思ったし、おそらく自分こそが許せなかった。
だから、そう願ってしまったことは、最後まで実行せざるを得ない、と思いこむフィリエル。
こんなふうな思いこみを制御できずに、本当に行動に移してしまった少年・少女がいるのではないか。
その恐ろしさや、悲しさに気づかないまま、本当の現実感を伴わないままに……
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